つい先日まで、毎日が戦争で時間=不可逆だと脳裏にずっと浮かんでいた。週末引越しをして通勤時間が半分になり、距離は3分の1になった。
そのおかげで1日のうち自宅で過ごす時間が増えた。のは良いが、なんだか喪失感や虚無感に溺れかかっていた。
週末休むことなく荷物の開封、買い出し、挨拶回り.etc…月曜には疲れを感じたのだが、それ以上に何をしたらいいか分からなくなった。
しばらく引越しに頭を使っていたし、はっきり言って他のことが疎かになっていた。
ネットが通っていないせいでやることが無い。ネットさえ有ればなんとかなる。僕の脳裏にはその事だけしか無かった。
根幹から間違っているとは思わない。いや、思えなかった。
原因は環境が変わったせいだと思い込んでいる為に自分内部に目を向けようとはしなかった。確かに環境が変わったのも1つのファクターだと言えよう。しかし逆説的に環境が変わらなかったら元に戻っただろうか? 今となっては試すことは出来ないが、出来ないだろう。
過去生きてきた中でこう「暇だ。何しよう」と思った時環境を変えたからと言って、治ったという記憶は僕の中ではほぼない。
結局は中身。いくら花で飾り付け、良い服を着て、品の良い香りを身にまとったとしても、本体が生ゴミであるのなら黒ずんだ造花、醜く爛れた皮、肺を焦がす悪臭にしかならない。
しかし、人間は弱い生き物。「自分は悪くない」「周りが悪い」「環境が悪い」「世界が悪い」何かのせいにしたいのが性。
僕はそれを悪いとは思わない。それを否定したら僕自身を否定することになる。それはとっても悲しいこと。
だから受け入れる。環境が悪いと言っていた僕を受け入れる。何かのせいにして行動しなかった僕を受け入れる。
けれど甘やかしはしない。それはまた違うことだから。
次のページに進むには、見失ったもくじを探すことから始める事。今何ページにいて、これからどんなエンディングを導き出すのか。
消して道を間違えるのは悪いことじゃない。
決して間違えていけないのは進むことを諦めたこと。
さて、明日のために何をしようか?
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