言葉か悪辣か

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人の口から吐かれるのは一体なんなのだろうか

平気で人は騙し、偽る。

そんな人の言葉を信用できるのか?

否、できない。

僕にとって言葉とは手段であり方法でしかない。

故にそこには信憑性など微塵も価値を置いていない。

「次から気をつけます」

何度同じ人からその言葉を聞いたのだろうか、

何度その言葉に価値などないと思い知らされたのだろうか。

人間の本心など行動からしか受け取れないと僕は信じている。

言葉など、無駄。

正確に言うならその場に吐き捨てられたものになんら価値などない。

それを許したところで次の瞬間にはもう忘れ去られ、次の日には同じ失態をするだろう。

僕はもともと短気です。

一度ミスをしたところで、思うことがあっても、仏の顔は三度まで——本来の意味とは違うけどミスは3度まで許すようにしています。

自分もミスをしないとは言い切れないから。

たとえ4度目同じミスをしたとしても人によって怒る起こらないも変わります。

なんでか

そのミスに対してどう受け止めているか

対策をして、何度もミスをしてしまう。

なら仕方ない。一緒にミスが出ないように考えてあげたいと思う。だって改善しようと努力して起きてしまったことだから。

対策もせず何度もミスをする人に対しては怒ります、呆れます、もう何も任せたくありません。

なんでか。

対策も考えず、どうしたら良いか行動にも起こさないで同じミスが発生しない訳が無い。

それも分からない人間に対して何も言うことはない。

まあ、でも2度3度は見逃します。一緒に考えます、対応します。

それ以上は知りません。

僕の大切な時間を割く必要もありません。

自分の時間は自分で決める。

それで良くないですか?

基本的に人の言ってることは信用しません。

みな人を陥れる存在としか思っていません。

それで良くないですか?

口に出すのはまだしも、思っていても。

人の信頼は言葉にあらず、行動にのみ宿る。

喋っていれば相手がどんな感情でいるのか大体は分かります。

話を聞いて欲しいのか、意見が欲しいのか。

ただ喋っていたいのか、それとも自分の事しか考えていないのか。

僕が黙るときは大体そう言った負の感情を受け取ったとき。

もう会話にしようとは一切思ってないのでしょう。

お話がしたくても、どちらかが一方的に話をしてしまうのは楽しくない。

いくら謝っても、次またするのなら、信用できなくなってしまう。

人間は言葉でコミュニケーションを取るもの

なら、最低限、言葉は扱えるようになりましょう。

決して、毒や悪辣だけを吐く愚直な人間にはなりたくないものです。

それと同時に、真実や正論だけを述べる偽善者にもなりたくないものです。

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