検索エンジンを使う

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調べればすぐに答えが出てくる時代。

その使い方を精査すべきなのかもしれない。

気になることも自らの頭で考える前にすぐ検索していることが多い。

果たしてこれはどうなのか、と疑問を抱いている。

文字の読み方から、人生の悩み事までなんでもかんでもすぐに答えを知りたがる。知りたがるのは悪いことじゃない。むしろいいこと。

見方によっては次のステップに移っているのか。

興味関心を持って行動することが重要と何かの本で読んだ。その本がなんだったのか、どうしてなのか思い出せない。おそらくは興味関心を持たないといいことも悪いこともどうでも良くなってしまう。と言う意味だったような……

話を戻そう。

今の僕が問題視しているのは、人生の重要な選択についてすぐ検索をして助言を求めようとすることである。

重要な選択を他人に任せることでその後の責任感を軽くしようとする心理が働く。確かに、科学的実験では自ら選択すると選択肢に疑問を抱く割合が多いとされている。誰かに選択肢を任せることで、受け入れることができるとされているが、これはヨーグルトの実験じゃない。この先の人生を設計する際にこれを参考にしていいものなのか?

ましてや検索によって得られる情報は信憑性がない。もちろん全てが全てとは言い切れないが、鵜呑みにするにはあまりにも危険すぎる。

新しい情報を得た時、それは無意識に誘導されていく。それが科学的に証明された、いわゆる『信憑性の高い情報』であれば指標にしてもいいだろう。しかし前述した通りネットの情報など過信に値しない物ばかり。

持っている情報が少ないのであれば、まずは持ちうるあらゆる情報を出し尽くし、自分なりの考え、答えを導き出してからでもいいのではないだろうか? 何でもかんでも検索して他人の考えをあたかも自分の考えであるようにするのはやめよう。

自分で考えるのは疲れるし、その答えは未熟であるかもしれない。そんなものに全てを託すのはバカバカしいとも言える。

検索するなと言うのではなく、しっかりできる事をしてから他を頼ることもしてみないか? というのが僕の主張だ。

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