中世の移動手段と交通事情の謎

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中世と一口に言っても前期後期、盛期と別れてるんですね。

改めて知ってるようで知らないことが認識できました。

さてさて、交通事情と一口にいってもいろんな要因がありますね。

道路の舗装や移動手段。記事を書いているうちにおおよそのことは掴めたけれども、他の要因が気になりだした……

当時のことを想像してみて、

靴ってどうしてたんだろう? 

砂利道とかで歩きにくいなら靴とかもしっかりしてないと痛いんじゃない?

交通税取られてその税金ってどう使われてたんだろ?

荘園ってどういう構造?

他の村とかまでどのくらいの距離があるんだろう?

とかとか色々疑問が出てきたけど、今回の記事に乗っけると雑多になりすぎるため断念……

一応こちらでも補足を

ローマ帝国時代に作られた道は利用されていたが、そのまま使うにしては舗装が失われていて快適ではなかった。代わりに砂利と石灰を撒いたけど、まあ応急処置だよね。

村落の道も牛二頭ほど。

かなり狭い道で場所によっては森を切り開いただけのほぼ獣道と変わらないそうだ。

馬車も初期の頃はサスペンションなん技術もなく、砂利道の衝撃を直に感じているのを想像して欲しい……移動は疲れないが、快適……いや、乗り物酔いする人は地獄だろう(しない人も結構辛そうだが)

車輪もこの頃は木製で欠けたり、破損することが多々あったそうで馬車一台借りてくるのも庶民1〜2週間の賃金がかかったそう。

本当に富裕層の乗り物だったんだなぁ……

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